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石巻市

Category: 東日本大震災
耐え忍び2ヵ月 避難所で、自宅で 長引く生活
河北新報 5月11日(水)6時12分配信

 5月26-27日に四回目の被災地での活動をする予定です。一日目は石巻市に赴くことにしました。昨日、下記のニュース記事をみたことがきっかけです。早速、、豆腐屋の戸田さんに連絡をとって打診し了解を得ました。どうやらマッサージなどのボランティアは受けたことがないとのことでした。カラダが痛いかたは沢山いらっしゃるようです。避難所ではあれだけ入れ替わり立ち替わりマッサージの方々が入っていることを考えると、在宅におられる方はターゲットとしては難しいのかもしれません。南相馬でもマッサージの人たちが入っていましたので、各避難所でも相当数の癒し系のボランティアが入っているはずです。ただ話の中で理学療法士と言っても通じなかったのが少し残念でした。
 石巻はかなり広範に避難所が散在しており、被災地そのものに居住していることも多いようで、名取市の市街地にある環境とはかなり違う様相です。物資は届いているとのことですが、何か必要になるものがあると思います。遠慮もあるのか、それとも本当に物資が流通してきているのか?まずは夏をイメージして何でも対応できるようにしたいと思います。とりあえず直感で扇子(ぱたぱたするやつです)を50本買いました。今回のテーマは「生活再建」避難所巡りは少しばかりしてきましたが、施設や在宅ではまた全く違った様相を呈しているようです。さらに名取市では避難所から仮設に移っている人たちもいるようですので、是非訪れてみたいと思います。より多くの環境をみることで、今後の支援の方向性が見えてくるかもしれません。

以下ニュース記事 
 東日本大震災は11日で発生から2カ月を迎えるが、今なお東北地方を中心に12万人近くが避難所に身を寄せる。被災した自宅や親類宅で暮らす人も数多くいるとみられ、それぞれが長く不自由な避難生活に耐えている。


◎石巻 配給頼み店再開遠く

 午後4時、宮城県石巻市旭町の豆腐店の前に「救援物資」の紙が張られたトラックが止まった。運転手が弁当が入った段ボールを荷台から下ろす。店の奥にはパンと牛乳、野菜の箱もある。
 「ここが集配場所なんです」と話すのは店主の戸田勇也さん(73)。市と自衛隊が1日3回、店に食料を運び、住民は夕方まとめて取りに来る。
 住民は戸田さんを「会長」と呼ぶ。実は被災直前の3月初め、旭町は戸田さんを会長とする防災組織を立ち上げたばかり。「1度も防災訓練をせずに本番が来ちゃってね」。店先には手書きで「旭町防災本部」の紙が張ってある。
 旭町は10日現在、全世帯の約4割に当たる69世帯184人が自宅で暮らしている。地区には1階が店舗、2階が住居という自営業者が多い。営業を再開できず、収入は絶たれたまま。津波で失った車を買い直す余裕もなく、遠くまで買い物にも出られない。配給は在宅被災者の命綱だ。
 なぜ避難所から自宅へ戻ったのか。尋ねると、意外な答えが返ってきた。「いや、避難所には一度も泊まってないよ」。
 旭町周辺は約70センチ浸水した。戸田さんら多くの住民は水が引くまで4日間、家に閉じこめられた。水が引き、避難所になっていた近くの小中学校に行くと、既に満員で入れなかった。その間は主に冷蔵庫のものなどで飢えをしのいだ。
 配給をもらえたのは発生から10日目をすぎたころ。「偶然、食料を積んだ自衛隊車両を見かけ、支援を頼んだのがきっかけだった」という。
 電気やガス、上水道は復旧したものの、苦労は絶えない。戸田さんも豆腐を作る機械が津波に漬かり、営業を再開できずにいる。数日前から再開に向けた準備を始めているが、食料の受け渡しや住民代表として市役所などに足を運ぶため、復旧作業の時間も、そう多くはとれないのが実情だ。
 「住民のためにも、早く店を再開しないとね」と戸田さん。食料の分配を終え、やっと、豆腐作りの機械の掃除に取り掛かれた。(武田俊郎) .最終更新:5月11日(水)6時12分

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