オンライン師匠―師匠チャンネルー 2020/08/12• トレーナー活動を始めたキッカケ
• Key word 憧れ アスリートとしての情熱理学療法士になる動機がスポーツでした。私は平成2年(1990年)に理学療法士になったのですが、当時はスポーツ選手のリハビリがとても脚光を浴びていた時代でした。働き出して2年目からスポーツリハビリの研鑽をするために学びを深めました。
⑴日本体育協会スポーツ診療所に研修
⑵各種スポーツ関連の勉強会に参加
⑶3年目にスポーツリハビリの立ち上げのために総合病院に異動し、夜間の鍼灸マッサージ指圧師の専門学校に通いながら、スポーツ現場でもトレーナー活動をスタートさせました。
※実はここに運命の分かれ道があります。2年目の研修ですが実はPTとしてアルバイトに行くという選択肢がありました。当時、理学療法士のアルバイトは高額であり、そちらを選択してもおかしくなかったのですが、当時の上司に何気なくスポーツの研鑽をしたいと伝えていたのですが、まさか本当に行けるとは思っていませんでした。「連絡しといたから・・」と言われて正直戸惑ったことを覚えています。
• なぜ理学療法士になったのか
• Key word 消去法 選択の余地• 私が理学療法士になった頃は、知名度もなく全く注目度もありませんでした。私が国家資格8876番ですので一万人いない時代です。当然周りにも進学先として話ができる人がいません。
• 正直、スポーツに関心があるということだけで、あとは消去法にて選択しただけでした。逆に情報も知識もなかったがゆえに、理想も期待もありませんでした。
• まず社会人になるということがまず大切で、その職業として理学療法士になることを大学生の段階で選んだということです。
• そして理学療法士の学校に行きながら、理学療法士にアジャストできるように自分を変えていくことを考えました。
• 理学療法士になりたいというよりも、その前段階の社会人としての資質を身につけることで必死だったのです。
• 治療とパフォーマンス向上の違い(先生がアプローチするときに気をつけていること)
• Keyword 競技力 パフォーマンス • 治療とパフォーマンス向上は運動連鎖を突き詰めていけば融合してくるのですが、一般的に治療と言えば、筋・筋膜などの軟部組織や骨関節の機能改善を目的とします。理学療法士は、徒手療法(物理療法)と運動療法の併用にて治療を行います。パフォーマンスの向上は部分と全体の比率によって変わってきますが、例えば手術が必要なほどに重症化していればそれは局所の比重が高くなります。よって局所の改善によってパフォーマンスができるようになる、もしくは元のように動けるようになるということになります。私は医療従事者ですので診断名からの病理の治療という視点から入っていきます。
• 方やトレーナーはトレーニングによってフィジカルコンディションを上げて結果的にパワー、スピード、アジリティ、持久力の向上により競技力が上がります。
• ここで大切なのは、「パフォーマンス向上」と「競技力向上」の違いについて認識し、自分の立場でどこに関わっているのかを自覚することが必要です。
• 競技力向上とは一個人だけの関わりで達成できることではりません。
• 治療者が関わっているとするならばパフォーマンス向上といった視点となります。いわゆる「身体の使い方」ということであり、これはそのレベルの中で最大限に能力を引き出すことを意味します。ベースとしてのフィジカルフィットネスの能力が無ければ引き出しようがありません。
• 基本的には一治療家の動きの視点の前に大切なことがあります。
• 選手がそのことを受け入れる必然性が高まっているか?
• その準備ができているか?
• その心境になっているか?
• タイミングが必要であり、そのタイミングの場をセッティングしそのための言葉掛けや、選手の背景や経緯を知ることが大切です。
• 最初から動作分析にて出てきた問題点を指摘して、アプローチすることがベターでは無いのです。
• 選手の言っていることが例え誤解であったとしても、その想いや考えを尊重することです。
• 最初は全てを話してくれるわけではありません。その競技のこと、選手の置かれている立場(レギュラー、試合、進学)などを汲み取って共感することで、選手は「自分のことを分かってくれるんだ」「理解してくれるんだ」という安堵を持って信頼関係が築くことができます。
• 私自身は競技力向上をその先に見据えながらのパフォーマンスをボトムダウンに提示していくようにしています。
• トレーナーの道をどのように築いていったのか• 私自身は3年目の時に高校バレー、大学の陸上競技、駅伝など来院した選手が関わっている試合やチームを見にいくことから始めました。
• 紹介などでもいいのですが、まずは自分で道を切り開いていくことが必要です。自らの伝手や知り合いなどどこからでもいいので糸口を見つけていくことです。
• 与えられたものに対する思い入れば執着になりやすく、自らが開拓してステップアップしていったものだけが血となり肉となります。
• 関東大会レベルのバレーボールチーム、インカレ2部、大学駅伝チームなど、とにかく好奇心と意欲にてどんどん関わりを持っていきました。
• 全ての休みと時間を費やしたといっても過言ではありません。
• 基本的には合宿などにいくと、必ず他のチームが来ていますので、そこからの紹介の紹介という形で、実業団バレーボールチーム、日本代表レベルの長距離ランナーなどを見ていくうちに体操のオリンピック選手に巡り合うことになります。PTになってから10年目のことでした。
• オリンピックにトレーナーとして帯同の経験と学び• 当時はシドニーオリンピック前年の1999年だったと思います。年齢としては31歳、若かったこともありどんどん前に上に進まなければモチベーションが保てないという心情がありました。スポーツもオリンピックレベルを見ないと意欲を保てなかったということです。
• 頂点の選手を見ることで、一般の人の身体と全く違う筋肉であるということ、1を知れば10分かるメンタルとフィジカルであるということ。
• トップアスリートに関わるということは役割分担があり自分の求められている立場を理解するということ。
• 理学療法士というよりも選手ファーストであり、いかに黒子に徹することができるかが大切となってきます。
• 理想は選手から求められるトレーナーになること、治療家になること、選手からこちらのフィールドに入ってきてもらえるような治療家なり、トレーナーになること。そのためには自分の持ち味と選手に必要とされる自分ならではの視点を有することが大切です。
• 強化スタッフなどの立場はどちらかというと、チームドクターの紹介や所属病院などによって決まってきますので、それは業務を遂行するということです。
• 自分のこれがあればもっと選手はよくなるという確信を持っているのならば、請われるような存在になる必要があります。
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• 運動連鎖アプローチができた経緯• 運動連鎖アプローチはスポーツ現場や整体、カイロプラクティックなどにて培ってきた技術と知識を理学療法に還元したいという思いから立ち上がっていったという経緯があります。
• 理学療法においても学会発表をしていたことで仙腸関節の研究を積み重ねていました。そこに聴講しにきてくれる人がいることがわかり、自分でも何か貢献できるのではという自信となりました。
• 技術を披露する団体ではなく、概念と原理原則、普遍性を前面に出していくことを理念として立ち上げました。
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• これからトレーナーを目指す方へ• 人生のあらゆる場面での、きっかけはそれぞれのスタイルがあります。私は力んで何かをやったり決めたりするよりも、なんとなく「持たれかかる」ような、肩の力が抜けている時の方が功を奏することが多いようです。自らのタイプと型を見極めることが人生であり、自覚することが大切となります?それぞれに身の丈にあったスタイルがあり、それは現代の価値観や流行とは必ずしも一致しないことの方が多いでしょう。情報社会の中で時として追い立てられ呑み込まれてしまいがちですが、成功の哲学のようなテクニカルに走ってしまうと自分を見失うことになってしまいます。人生とは何か?そのことの結論は晩年にわかることであり、気づくことなので、若い時には自らの気持ちに正直に頭ではなくまずは行動を持って進んでいきましょう。